読み物「植物状態をめぐって」
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植物状態をめぐって H20年11月作成 (2015-01-25 ・ 616KB) |
1.はじめに
筆者は千葉療護センタ-に勤務して既に12年以上になった。それまでは脳神経外科医として救急車が頻繁に到着する救急指定病院や大学病院で20年以上勤務をして、主として急性期の患者さんの治療をしてきた。千葉療護センタ-に来てから、多くの植物状態の患者さんに接し、色々な文献を読む機会があった。以下の文章は機会があればそれらをまとめて書き留めておきたいと考え書いた文章である。正確を期すために、なるべく原文を引用して和訳をつける形で記載をした。多くのことを盛り込んだために、大変回りくどい文章になっているがこの領域に関心をお持ちの方に読んでいただき、ご意見や誤りがあればご指摘いただければ幸いである。筆者自身の意見も所々に盛り込んだので、この文章は千葉療護センタ-の公式の見解ではなく、筆者の個人的意見であると理解していただきたい。
交通事故などで重症の脳損傷を受けた人は、救急車で事故現場から病院に到着した時点では、多くの場合、昏睡と言われる状態である。昏睡の患者さんは自分で目を開けることはなく、つねるなどの強い痛み刺激でも目を開けることはない。もちろん言葉をしゃべったり、握手をしてくださいなどの命令に応じることもない。急性期を乗り越えて命の危険が少なくなると、神経機能の改善が徐々に見られるようになる。最初は目を開けるようになるが、視線は定まらずボ-としているように見える。そのうち目の前の動く物を目で追ったり、周囲の人と視線が合うようになる。次の段階として、握手をしてください等の簡単な命令に応じてくれるようになり、それから会話が可能となったり、手足を自分の意志で動かせるようになる。良好な回復が見られれば、けがをする前の仕事に戻れるまでに回復する場合もある。しかし、重度の脳損傷がある場合は何らかの後遺症が残る場合が多く、もっとも重症の場合には、目は開いているが視線は定まらず、周囲のことを認識している証拠が得られない状態となる。この状態のもう一つの特徴として、昼間は目を開いて、夜は目を閉じて眠る、睡眠覚醒のリズムがみられる場合が多い。
このような状態に注目した報告を最初に行ったのはJenett と Plumで、1972年にThe Lancetという最も有名な医学雑誌に発表されたPersistent vegetative state after brain damage. A syndrome in search of a name.と題された論文(資料1)の中で、この状態をThe eyes are open and may blink to menace, but they are not attentive; although roving movements may briefly seem to follow moving objects, careful observation does not confirm any consistency in this optimistic interpretation. It seems that there is wakefulness without awareness.(目を開いていて驚かすと瞬きもあるが、注意をしていない。物を追うような目の動きが短時間見られることもあるが注意深い観察ではこの楽観的な評価は常に見られるものではないことがわかる。周囲を認識をしていない覚醒状態のように思われる。)と記載していて、この状態に対する名称としてpersistent vegetative stateを提唱している。 Persistent は持続する、vegetativeは植物のという形容詞で、stateは状態であるから、直訳をすれば、持続的植物状態となる。
一方ほぼ同じ時期に、わが国に於いても重症の脳損傷後遺症患者とその患者の家族に対する支援の必要性が認識され、このような状態の患者の定義が必要となった。 そこで脳神経外科学会から1972年に植物状態の定義が提唱された(資料2)。この定義は以下のようなものであり、現在まで使われている。
Useful life を送っていた人が脳損傷を受けた後で以下に述べる6項目を満たす状態に陥り、ほとんど改善が見られないまま満3カ月以上経過したもの
1)自力移動不可能
2)自力摂食不可能
3)屎尿失禁状態にある
4)たとえ声は出しても意味のある発語は不可能
5)”目を開け””手を握れ”などの簡単な命令にかろうじて応じることもあるが、それ以上の意思の疎通は不可能
6)眼球はかろうじて物を追っても認識はできない
この定義が作られた背景については資料2,3,4に詳しく書かれているが、資料3の論文の中の、「”植物症(患者)”-用語の提案」の項に「脳卒中や頭部外傷を受け、昏睡状態で死線を彷徨ったのち、開眼できるまで回復したものの、周囲との意志疎通を完全ないしほとんど完全に喪失し、年余にわたって生存する場合“植物人間” だとよくいわれる。この状態を一つの症候群としてとりあげたのがJennett and Plumで”persistent vegetative state(遷延性植物状態)”という言葉を考案した。患者の様子を観察するだけで、 医師と家族および医師以外の人がお互いに了解でき、しかも公的に記載、表現できる言葉が必要になった社会的背景も見逃すことはできない。前述の“植物人間”など、 日本語として語呂がよいせいか、 すでに十数年前から“隠語的”に使われてきた。しかし公的記載ないし表現に植物人間という隠語を、 そのまま採用するのはどうだろう。ベッドサイドで、かかる哀れな患者、および精神的、肉体的、経済的に奈落の苦しみを味わっている家族を前にして、“お宅の子供さん、お母さんは植物人間です”とは言えない。 水頭症患者を“福助頭”と呼んだことを思い出す。 “植物症(患者)”という呼び方を提案している。」という記述があり、当時この問題をなんとかしなくてはならないと心を砕いた脳神経外科医の心情が推測される。しかし、言葉を大切にするはずのNHKにおいても10年くらい前までは「植物人間」という言葉を使用している事実もあり(資料5)、言葉とその意味する物については、いろいろと難しい問題があることがわかる。
2.Persistent vegetative state と 植物状態
Jenett とPlumはどのような考えで、このような状態にpersistent vegetative state(PVS)という名前を付けたのだろうか。彼らはvegetativeという形容詞を使った理由として、Oxford English Dictionary のなかのvegetativeの項の記載 "an organic body capable of growth and development but devoid of sensation and though"(成長や発達することのできる生命体であるが感覚や思考ができない。)を引用している。また、vegetative という形容詞は、自律神経機能を表すときにvegetative functionとして使われることも指摘している。 なかなかいいセンスだと感じるのは私だけではないだろう。彼らがこの論文を発表した数ヶ月前にこのような状態にvegetativeという言葉を使用した別の著者の論文もあったとのことであるが。彼らがvegetative state の名付け親として一般に認識されている理由は、発表した雑誌がThe Lancetという非常に有名で権威のある雑誌であり、タイトルにこの名前が含まれていたことが大きな理由であると書いてある本があった。著者もつい最近までこの事実は知らなかった。やはり論文は有名で権威がある雑誌に投稿すべきである。もっともそんなことを言ったって、いい加減な論文は門前払いを食うわけだが・・・。
Persistent vegetative stateはしばしばPVSと略される。これを見て、"Permanent vegetative state"と理解する人がしばしばいる。persistent は過去から現在まで持続しているという意味であるのに対し、permanentは永久的なという意味である。すなわちpermanentには、この状態は未来永劫変わらないというニュアンスがある。植物状態の患者を改善させることに努力している療護センタ-に勤務する私にとってはJenettさんとPlumさんがpermanent ではなくpersistentとしたことは、この状態を改善させる可能性があることを言外に示唆しているように思えてならない。なお、この混乱を避けるためにPVSの代わりにContinuing Vegetative State (CVS)を使おうという提案もあるが、あまり受けがよくないようである。
日本の定義にある言葉は「植物状態」である。英語のpersistentに相当する単語は含まれていないが、その定義には「満三ヶ月以上経過したもの」とあるので、定義の内容でpersistentの意味を含ませていると考えられる。しかし一般にはpersistentを意識して(あるいはPVSの直訳として)遷延性植物状態という用語が使われている。日本脳神経外科学会用語委員会編の脳神経外科学用語集を見るとpersistent vegetative stateの和訳として遷延性植物状態と記されている、また、和英の部分では遷延性植物状態はpersistent vegetative state、遷延性昏睡はprolonged comaとの記載があるが、ここには遷延性意識障害という用語は載っていない。現時点では1972年の脳神経外科学会の植物症の定義を満たす状態を遷延性植物状態と表記するのが適当であると思われる。しかし、1972年にこの定義ができる以前からマスコミなどは「植物人間」という言葉を長年使ってきた。これは語感が悪い、偏見を持った言葉だ、等の理由でこのような状態の患者さんの家族から大変嫌われていた。そのために本来は偏見もなにもない純粋に学問的用語である植物状態も、患者さんのご家族などとの話の中では非常に使いにくい言葉となってしまっている。私自身も患者さんの家族と話しをするときには、植物状態という言葉はできるだけ使わないようにしている。実際には「あなたの息子さんのように脳に損傷をうけ重症の後遺症のある人は」などの回りくどい言い方をする。しかし、学会発表のような学問的な場面では日本語は植物状態、あるいは、植物症を使っている。
3.PVS と 植物状態の違い
Persisitent vegetative state の日本語訳は植物状態と単純に考えて良いのだろうか?persistent vegetative state(以下PVSと略す)の定義を見てみると、先述のJenett and Plumの論文には、このような患者の状態として never regain recognisable mental function, but recover from sleep-like coma in that they have periods of wakefulness when their eyes are open and move; their responsiveness is limited to primitive postural and reflex movements of the limbs, and they never speak.(知的機能が戻ることはないが、眠っているような昏睡の状態を脱し、開眼して眼球の動きも見られ、覚醒と理解される時間が見られるようになる。しかし、その反応は四肢の原始的な姿勢あるいは反射運動にかぎられ、しゃべることはない。)とあるが、これは状態を示したものであり、具体的な診断方法を述べたものではない。PVSに対する大規模な研究としては、少し古くなるが、1994年に米国神経学会のThe Mulit-Society Task Force on PVS (以下MSTFと略す)から出されたMedical aspect of the persistent vegetative stateという文献(資料6)が現在でもしばしば引用されている。その中にはthe vegetative state can be diagnosed according to the following criteriaとして以下にあるような項目があげられている。
1)no evidence of awareness of self or environment and an inability to interact with others
自分自身や周囲を認識している証拠が得られず、他者との交流が不可能である。
2)no evidence of sustained, reproducible, purposeful, or voluntary behavioral responses to visual auditory, tactile or noxious stimuli.
視覚、聴覚、触覚、あるいは侵襲的刺激に対して、持続的で再現性があり、合目的性のある、あるいは随意的な反応をしているという証拠が得られない。
3)no evidence of language conprehension or expression.
言語を理解あるいは表出しているという証拠が得られない。
4)intermittent wakefulness manifested by the presence of sleep-wake cycles.
睡眠-覚醒サイクルがあることで特徴づけられる間欠的な覚醒状態が見られる。
5)sufficiently preserved hypothalamic and brain-stem functions to permit survival with medical and nursing care.
医療あるいは看護ケアで生存が可能となるに十分な視床下部や脳幹部の自律神経機能が保たれていること。
6)bowel and bladder incontinence.
屎尿失禁状態であること。
7)variably preserved cranial-nerve reflexes(pupillary, oculocephalic, corneal, vestibulo-ocular, and gag) and spinal reflexes.
脳神経の反射(瞳孔反射、頭位-眼球反射、角膜反射、三半規管-眼球反射、嚥下反射)や脊髄反射がいろいろな程度に保たれていること。
一言で言えば、睡眠覚醒サイクルはあり、目を開いていることがあるが、周囲や自分自身を認識している証拠が全く得られない状態と理解してよかろう。
一方1972年に日本脳神経外科学会から提唱された植物状態の定義は前述の如くである。
筆者は日本の植物状態の定義の中の6)の文章を見ていつも思うのだが「認識はできない」のをどうやって知ることができるのであろうか?やはり、MSTFのようにno evidence of (・・・をしている証拠が得られない)とするべきであろう。それはさておき、この二つの定義をみて気が付いた人も多いと思うが、日本の植物状態の定義は5)に見られるように、簡単な命令に時として応じる状態を植物状態に含めている。しかし、MSTFの定義は認識をしている証拠が全く得られない状態をPVSとしている。
相違点はこれだけでなく、対象とする疾患を見ると、MSTFの定義では外傷や疾病による後天的な脳損傷だけではなく、無脳児などの先天的な疾患も対象としている。これに対して日本の定義は「useful lifeを送っていた人が」という表現でわかるように、先天的疾患は対象としていない。また、時間的経過については、日本の定義は「満3カ月経過」することを必要としているが、MSTFの定義では外傷や非外傷性の脳損傷では急性期から1カ月たった時点でこの状態にあれば、また変性疾患、代謝異常、先天性疾患ではこの状態が1カ月続けばpersistentとしてよいとしている。外傷などでは受傷後6カ月程度までは回復が見られるケ-スが多くあるので、この条件はあまりにも早すぎると感じる脳神経外科医は多いと思われる。やはり、日本の定義にある3カ月程度が適当な感じがする。
要するに、PVSの定義と日本の植物状態の定義はその内容が違うと言うことである。海外の文献の中でもPVSと言って別の定義を使っている場合もあり、国際間のデ-タの比較には注意が必要である。
4.PVS と Minimally conscious state
前の項で述べたように、日本の植物状態の定義と外国のPVSの定義は一致していない。PVSの定義によれば命令に応じる状態は既にPVSとは言えないが、日本の植物症の定義では簡単な命令に応じる状態も含んでいる。英文の論文を見ていると、数年前から、簡単な命令に時として応じる状態に対しminimally conscious state(以下MCSと略す)という言葉が使われている。この用語はAspen Neurobehavioral Conference Workshopにおいて提唱されたもので、その定義については資料7にあげた米国神経学会の機関誌であるNeurologyにGiacinoらが2002年に発表した論文がある。この論文は米国神経学会が会員に教育資料として使用することを勧めているspecial articleでありスタンダ-ドとすべき論文と思われる。この論文中でMCSの概念としてMCS is characterized by inconsistent but clearly discernible behavioral evidence of consciousness(MCSは常にではないが、はっきりと判別できる意識がある証拠の行動が見られるという特徴がある。)と記されている。具体的には以下に述べるような事項が確認できればMCSと診断してよいとしている。
1) Following simple command (簡単な命令に応じる)
2) Gestural or verbal yes-no responses (身振りまたは音声によるハイ/イイエの反応)
3) Intelligible verbalization (内容が理解できる発声)
4) Purposeful behavior, including movements of affective behaviors that occur incontingent relation to relevant environmental stimuli and are not due to reflexive activity. Some examples of qualifying purposeful behavior include:(以下のような、環境から与えられる刺激に対しておこる偶然でない情動的で合目的性のある動きで、反射による動きではないもの)
appropriate smiling or crying in response to the linguistic or visual content of emotional but not to neutral topics or stimuli.(言語や視覚的内容の感情的で中立的でない内容や刺激に対して適切に見られる微笑みまたは叫びの反応)
vocalizations or gestures that occur in direct response to the linguistic content of questions(言葉による問いかけに対する直接的反応として起こる発声または動作)
reaching for objects that demonstrates a clear relationship between object location and direction ofreach.(目的とする物の位置と方向に明かな関連を持って手を伸ばすこと)
touching or holding objects in a manner that accommodates the size and shape of the object(その物体の大きさや形に適合するように触ったり持ったりすること)
Pursuit eye movement of sustained fixation that occurs in direct response to moving or salient stimuli.(目立つあるいは動く物に対して追視またはじっと見つめること)
これを見ると日本の植物状態の定義はPVSに加えMCSの一部を含んでいることが判る。わが国でも太田らが1976年に、日本の植物状態の定義に該当する患者をさらに分類して、完全植物症、不完全植物症、移行型植物症に分類する方法(資料8)を提案していて、移行型植物症がMCSに相当するが、この分類はあまり一般的に使用されていない。以上述べてきたことで、PVSとMCSの境目ははっきりしたが、それでは、さらに色々な反応が見られる場合、どこまでをMCSといって良いのだろうか?同じ論文にはMCSを脱却したと判定すべきproposed criteriaとして以下のように書かれている。
emergence from MCS is characterized by reliable and consistent demonstration of one or both of the followings(MCSからの脱却は以下項目の片方または両方が信頼性を持って常に認められることで特徴づけられる)
functional interactive communication(機能的な双方向のコミュニケ-ション)
functional use of two different objects(二つの異なる対象を機能的に使用できること)
第一の項目の具体的な例として、「あなたはいま座っていますか?」や「私はいま天井を指さしていますか?」などの基本的な6つの質問に、2回の評価の場面とも正確に答えられること。第二の項目では、最低2つの物を適切に使えることで、例として、櫛を持たせるとそれを頭に持っていったり、鉛筆持たせるとそれを紙に持って行く等をあげている。これはあくまでもproposed criteriaであるので、決定されたものではないようであるが、妥当なものと思われる。しかし、資料9の論文にはMCSの上限として、Emergence from MCS is signaled by the recovery of reliable and consistent communication of functional object use, as these behaviors permit meaningful interaction with the environment and enable assessment of higher cognitive functions. と資料7の論文と同様の記述が見られ、MCSの場合に「常にではないが」確認された認知をしている証拠が、「常に」見られるようになれば、MCSを脱したと理解される記載が見られる。しかし、同じ論文のなかで、これに対する反論があることも紹介されていて、YES/NOの反応が見られればMCSを脱却したとすべきであるとする意見があるとしている。いずれにしても、MCSとそれ以上の状態の境目はまだ一致した意見がないようである。また、MCS以上の状態についての名称の提案も検索した論文の中には見つからなかった。
5.PVS の誤診
これまでにPVSとその概念、定義や診断基準について見てきたが、実際の臨床の現場でPVSは確実に診断ができるのであろうか?以下に紹介するPVSの診断の確実性についての論文は全て英文であるので、ここで使われている定義は日本の植物状態の定義ではないことを頭において以下を読んでいただきたい。つまり、自分自身や周囲を認識している証拠が得られないとしてPVSと診断された患者が、自分自身や周囲を認識している証拠が得られたという誤診である。
2003年にRoyal college of physiciansからThe vegetative state. Guidance on diagnosis and managementと題されたreport of a working party of the Royal College of Physiciansが発表されている(資料10)。Royal college of physicians は英国の大きな医師の団体で色々な活動を行っている、日本で言えば医師会のような組織と思われる。ここから出された報告なので、これは英国の医師の公式見解とも考えられる報告である。これを見ると、Assessmentの項にThere is evidence that the VS has been diagnosed in error. The explanation for misdiagnosis include confusion about the meaning of the term, inadequate observation in suboptimal circumstances, failure to consult those who see most of the patient(especially family members) and inherent difficulty of detecting signs of awareness in patients with major perceptual and motor impairment.(VS は誤って診断されているという証拠がある。この理由としては、用語の誤った理解や、不適切な環境下での不十分な観察、いつも患者と接している人(特に家族)の話しを聞かないこと、知覚機能や運動機能の障害の著しい患者の認知機能を検知することが困難であるという本質的な性質などがあげられる。)というフレ-ズが見られる。ここでは二つの論文が引用されているが、ChildsらはAccuracy of diagnosis of the persisitent vegetative stateと題された論文(資料11)の中で、誤診率は37%であったと述べている。また、AndrewsらはMisdiagnosis of the vegetative stateというまさにぴったりなタイトルの論文の中で誤診率を43%と報告している(資料12)。いずれにしても驚くような高い数字であるが、これは一般の医師が診断して紹介してきたVSの患者のうち認知機能があることが証明された割合である。先に紹介したMSTFの論文ではdiagnosis factors and the limits of certainty の項目にIt is theoretically possible that a patient who appears to be in a persistent vegetative state retains awareness but shows no evidence of it . In the practice of neurology, this possibility is sufficiently rare that it does not interfere with a clinical diagnosis carefully established by experts.(理屈の上ではVSと見える患者が認知機能を持っていてもその証拠を示さないという可能性はある。しかし、神経学の実際の場面では、この可能性は十分に低いので、エキスパ-トの診察による診断ならば臨床診断にこの問題は影響することはない。)と記されていて、経験あるエキスパ-トによる診断が重要であることが強調されている。筆者は入院審査委員会の前に資料を作成するために、申し込み患者のもとを訪れて診察をするが、その場面で、主治医からコミュニケ-ションがとれないと家族が言われていた患者が、頷いて返事をしたり、指の合図で簡単な計算に正しい答えをすることを一度ならず経験している。また、筆者が千葉療護センタ-に来る前から入院していた患者で、ほとんど毎日観察する機会があったにもかかわらず、一年以上経ってから、眼前を上下に動く物に対してだけ追視が見られるのを発見した経験がある。また、スタッフのなかのある特定の人にだけ反応を示す患者さんもあり、正確な診断はたいへん困難であり、認知機能があってもそれを検知されていない患者さんがいるということを実感している。現時点で得ている結論は「PVSとMCSの境界を確実に診断するのは不可能である」と言うことにつきる。ところで、日本の植物状態の定義はPVSとMCSの両方を含んでいるので、これらの2つを区別する必要がない。日本の植物状態の定義を考えた先生方がこのことを意識していたとすれば、まさに臨床場面で起こる問題に対し非常に現実的な基準を作られた訳で、このことには感謝しなければならないと思う。
6.PSVからの改善
仮にある時点でPVSであることが確実に診断できるとしても、その後にMCSあるいはそれ以上のレベルまで改善されることはないだろうか?外傷についてみると、受傷後一ヶ月の時点でVSならPVSとして良いことになるが、その後改善をみてコミュニケ-ションがとれるようになることは、ある程度長い間脳神経外科の臨床に携わった医師なら、そのような症例を必ず経験していると思う。しかしコミュニケ-ションがとれるようになっても、殆どの場合これらの患者さんはその後も日常生活に全面的介助を必要とする状態を脱することがないのが現実である。先に紹介したRoyal College of Physiciansの報告にはThe time course と題された項目で、The chance of regaining awareness fall as time passes. Beyond one year following trauma, and beyond six months in non traumatic cases, the chances of regaining consciousness are extremely low. In the very small number of well documented cases, recovery has usually been to a state of exceptionally severe disability. Patients in the persistent VS should therefore be observed for 12 months after head injury(traumatic brain injury)and six months after other causes before the VS is judged to be 'permanent'.(時間が経過するほど認知機能が戻るチャンスは低くなる。外傷後1年以上、非外傷性の場合は6カ月以上経つと、意識が戻るチャンスは非常に低くなる。ごくわずかな数のよく記載された報告では、回復しても非常に重度の障害を後遺するレベルまでである。PVSの患者はpermanentと判定される前に、頭部外傷(外傷性脳損傷)の場合は12カ月、その他の症例では6カ月間は観察をされるべきである。)との記載がある。色々な程度にコミュニケ-ションが回復しても重度の障害を後遺するレベルに留まるということは筆者も賛成するが、「ごくわずかな数」の症例ではなく結構多くの症例に改善が見られることはこのホ-ムペ-ジの「治療を受けるとよくなるのですか?」の項を見ていただければ判ると思う、また療護センタ-で改善を見る患者さんの多くは受傷後既に一年以上経っているので、1年経ったらpermanentとの見解には到底賛成できない。いずれにしても英文の多くの論文は一様にPVSからMCSまたはそれ以上の回復は稀であると言っているが、皆無であると言っている論文は一つも見つからなかった。これは脳死の判定後の臓器移植が、法的に脳死と判定された後に回復することは絶対にないという前提と、それまでの法的脳死判定症例の結果そのような症例は皆無であるとの事実の上に成り立っているのと大きく異なっている。もっとも、法的脳死判定はほとんどの場合、臓器移植を前提として行われるので、判定後の自然経過を見ることはできないわけであるが、筆者も、現時点でわが国で行われている法的脳死の判定基準は十分に慎重なものであるので、これに従って正確に行われた判定後に回復する症例はあり得ないだろうと考えている。最後にもう一度繰り返しておくが、筆者が知る限りでは、PVSからMCSに改善する症例が皆無であるとの報告はなく、全ての論文が少数例ではあるが、PVSからMCSに改善される症例があることを認めている。これは以下に述べるPVSの患者はどのような扱いを受けるべきかという問題とからんで非常に重要なことである。
7.植物状態 と 遷延性意識障害
遷延性意識障害という用語をしばしば目にする。特に福祉や行政の領域ではしばしば使われている。これはどのような状態を指すのであろうか?筆者はこの用語を誰がいつ考案したか長い間調べてきたが未だに答えが見つかっていない、どなたかご存じの方がいたらお教えいただきたいと思っている。しかし筆者はこの言葉が植物状態と同じ意味で使われていることを知っている。中には1972年に日本脳神経外科学会が提唱した植物状態の定義をあげ、これが遷延性意識障害の定義である(資料13)と誤った理解をしている場合も見られる。前述の如く、患者さんのご家族は植物状態という表現を好まないので、遷延性意識障害を使いたいという気持ちは筆者も十分に理解するが、やはり、定義は定義でオリジナルを尊重したいものである。インタ-ネット百科事典として有名なWikipediaで遷延性意識障害と入力して検索してみると、冒頭に「本稿では遷延性意識障害(せんえんせいいしきしょうがい)、俗にいう植物状態(しょくぶつじょうたい、Persistent vegetative state)について記述する。」とあり遷延性意識障害の定義として、1972年の脳神経外科学会の定義と思われるもの(一部は原文のままでない)が載っている。Wikipediaは一般の人が書き込んで作るもので、必ずしも正しくないこともあるのは前提であるが、やはり、一般にはこのような理解が多いのではと思われる。とは言っても、言葉はその内容が正しく相手に伝わることがもっとも重要なので、筆者自身は、学問的な場では「植物状態」を、福祉や行政に提出する診断書などでは「遷延性意識障害」を、家族の方と話す時には前述のような間接的表現で、厳密さが要求される裁判所に提出する書類では「1972年に日本脳神経外科学会から提唱された植物状態の定義を満たす状態である」と書くなど、場面によって用語を使い分けている。
8.PVS の患者はどのように治療・介護されるべきか
これは非常に重要でデリケ-トな問題である。これから示す内容は全てPVSの定義、すなわち「自分自身あるいは周囲を認識している証拠が全く見つからない」状態を完全に満たしているケ-スについて論ずるもので、MCSは含んでいないことを前提とする。
世界的に見るとThe discontinuation of life support measures in patients in a permanent vegetative state(永久的植物状態の生命維持のための方法の中止について)(資料14)やMedical decision making in the vegetative state: Withdrawal of nutrition and hydration(植物状態における医学的意思決定:栄養と水分供給の停止)(資料15)のようにPVS患者の栄養と水分の供給を停止して良いかどうかを検討した論文が多く見つかる。栄養と水分の供給を停止すれば、その後の運命は明かであるので、これは「PVSの患者を消極的な方法で死に至らしめることを容認する」と同等の意味と理解される。このような論文の議論の内容は「栄養と水分を鼻導栄養管や胃瘻から与えること」は「医療」であるのか、「基本的生命維持」の方法であるのか?という論点である。このような論点が成り立つ理由として、PVSの患者には、肺炎になったときに抗生剤の投与などの積極的な医療はおこなわないというコンセンサスがあることが前提となっている。経管栄養による食事が医療であるとする立場は、このような栄養や水分の摂取法は自然な方法でないので、医療の一部であるとの論が多い。また、このような「不自然」な栄養や水分の摂取方法を、レスピレ-タ-による人工呼吸と同じと考え、このような方法の中止をレスピレ-タ-をはずすことと比較して考える議論もある。しかし、レスピレ-タ-をはずした場合には、患者は自発呼吸をする自由は妨げられていない。これと同じに考えるならば、経管栄養を中止したならば、おそらくそれ以前に行っていた介助による経口摂取を行わなければならず、嚥下することのできない患者の口に食事を入れなければならない。やはり、経管栄養の中止とレスピレ-タ-をはずすこととは、比較して議論することはできないと考える。この議論の結論が示されている論文としては以下のようなものがある。2005年に発表されたPatients in a persistent vegetative state - A Dutch perspective(遷延性植物状態の患者-オランダ人の見かた)(資料16)がある。この中にはThere now seems to be a consensus in the Netherlands that artificial hydration and nutrition are medically futile for patient in a persistent vegetative state and therefore can and should be stopped.(現在ではオランダでは植物状態の患者に人工的に水分や栄養を補給をすることは医学的にみて無益なので、中止して良いし、中止すべきであるということはコンセンサスと思われる)との記載が見られる。これを見て、世界で最初に安楽死の方法を法的に定めたオランダならではの考え方だという印象を持つ人も多いと思う。少し古くなるが1989年に出た米国神経学会の公式見解(資料17)でも、the artificial provision of nutrition and hydration is a form of medical treatment and may be discontinued in accordance with the principles and practices governing the withholding and withdrawal of other forms of medical treatment(人工的な栄養と水分の供給は医学的な治療であるので、他の医療を控えたり中止してもよいのと同様な考え方や行為と同じように中止しても良いのかもしれない)との記載が見られる。逆の立場は、1998年に出たthe discontinuation of life support measures in patients in a permanent vegetative state(資料18)の中に各国の例が紹介されていて、for example, the discontinuation of life support measures is not allowed in Germany, where the 1998 guidelines of the Federal Medical Council state that patients in PVS have the right to medical and nursing care and that it is mandatory to guarantee nutrition and hydration in such case.(一例を挙げれば、ドイツではこのような患者の生命維持の方法を中止することは許されていない、1998年の連邦医学評議会のガイドラインには、植物状態の患者は医療と看護を受ける権利を有するので、栄養と水分の供給を保証することは必須であると述べられている。)との記載が見られる。ドイツがこのような見解を持つようになった理由は、第二次世界大戦の際の悲惨な経験が影響しているのであろうと書いてあった論文もあった。しかし、世界の趨勢は、慎重な診断の基に、回復の可能性がないと診断された植物状態の患者の経管栄養と水分の供給は中止しても良いという方向に向かっているのは確かなようである。
ところが2004年に興味あることが起こった。2004年3月20日にLife-sustaining treatments and vegetative state: scientific advances and ethical dilemmas という名前の会議が開催された。この会議を主催したのはキリスト教系の医療・看護などに関わる人たちの集まりであったようである。ここに先のロ-マ法王ヨハネ・パウロⅡ世が出席し、挨拶をした。その内容はインタ-ネット上でaddress of John Paul Ⅱ(資料19)として読むことができる。ヨハネ・パウロⅡ世はその在位中に世界平和や国際的問題について積極的な発言を行い、非常に人気のあった法王である。その法王が会に出席してaddressを行った。英語の辞書でaddress を引くと、挨拶の言葉、演説(特に儀式張ったもの)、提言、などの訳が見られる。この会議のタイトルからするに、植物状態の患者さんの生命維持をどうするかを議論する場であったであろう、dilemmaという言葉が入っていることから判るように前の項目で紹介したような議論が行われる場であったと想像する。そのような場に法王のような”超偉い人”が出てきてaddress(挨拶)を行う場合は、日本人の感覚では「この会における皆様の活発な議論と実り多い成果を期待します」などと言って引っ込むのが常識であろうが、このときに法王は”植物状態の患者の栄養と水分の供給を中止することは行ってはいけない”とaddress(提言)をしてしまったのである。おそらくこのaddressは会が開催された一番最初に行われたと想像するが、これから議論をしようと言うときに、一番偉い人が先に結論を言ってしまったようなもので、これはその後の議論に大きく影響したであろうことは想像に難くない。日本ではキリスト教の影響はあまり大きくないので、この”事件”はあまり注目されなかったようであるが、海外ではこの事件はおおきな影響を与えたようであり、インタ-ネット上ではこれに関した意見が今でも数多く見られる。検索エンジンにPope vegetativeの2語を入れて検索すると多くのサイトが見つかる。海外の文献を見ていると、この事件以来、この問題に対する考え方が少し変わってきたような印象を筆者は持っている。最近では機能的画像診断法の進歩もあり、MRIで調べたら、植物状態の患者が認知をしていると考えられる結果が得られたなどの報告(資料20)が見られるようになり、植物状態の患者の認知機能を最新の機能画像診断法で探ろうとする動きが盛んになりつつあるように思われる。このような知見が蓄積されればPVSと診断された患者にも認知機能がある場合があるという認識が浸透して、その治療方針にも大きく影響することが考えられる。
9.植物状態患者の治療・介護と経済的問題
植物状態の患者さんは病院や施設や自宅で治療や介護を受けている。自分自身で周囲とコミニュケ-ションをとることが不可能な植物症の患者さんは常に見守りが必要であり、また喀痰の吸引、入浴、食事や排泄の介助などで多くのマンパワ-を必要とする。このような状態の患者さんの生活を考える上で、経済的問題は避けて通ることはできない。特に自宅で介護をされているご家族は、常に見守りが必要なためにそれまで勤めていた会社を辞めざるを得なかったり、介護を依頼するための費用が必要であったりして、経済的に困難な問題を生じることがしばしばある。従って、公的支援なしにはこのような患者さんの生活は考えられない。公的支援としては障害年金、労災年金、などがあり自動車事故対策機構でも介護料支給の制度がある。また、65歳以上の人には介護保険があり、子供(正確には発症時18歳未満であった人)には療育医療という制度があるが、交通事故の被害者の多くが該当する比較的若い成人にはこのような制度がないのが現実である。千葉療護センタ-は特殊な病院であるので、見学に訪れる方が多い。見学に訪れた方に一人あたり年間にかかっている費用のお話をすると、ほとんどの人がその額が多いのに驚かれるようである。在宅介護、施設、入院のいずれのケ-スにも、このような状態の患者さんの安全な生活には、ケアに要するマンパワ-や医療システムのバックアップは不可欠であるので、このような高額になるわけであり、その額は一家を支えるサラリ-マンの年収よりも大きい。このようなことに関して検討した論文は少ないが、以下の興味ある論文を紹介しておく。2004年にNeuroRehabilitationという雑誌にイタリアからEconomic aspects in prolonged life sustainable treatment(PLST)(長期にわたる生命維持療法の経済的側面)という論文が発表された(資料21)。筆者はこのタイトルを見たときに、多分、このような状態の患者さんの治療はfutile(無益)であるので、中止すべきであるとの内容であろうと考え読み始めたが、その予想は大きく外れた。この論文の最初には医療は経済と切り離せないことが述べられ、生命の重さは経済で評価すべきではないという医療者に多く見られる意見と、限られた医療資源をもっと有効な治療に振り向けるべきであるとする経済学者や医療行政に携わる人の見解を紹介している。しかしこの著者は、実際にはVSの患者の数はそれほど多いものではなく、このようなPLSTに費やされる費用はオランダでは全体の医療資源の約5%であるという文献を引用している。さらにPLSTを行っている患者の治療により得られる知見や新たな方法は急性期の医療にも大変役に立っていると主張している。タイトルから想像した内容とは大いに違った興味のある内容であった。いずれにせよ、このような状態の患者さんに治療を行うためには、十分な医療資源がなくては不可能である。健康な人が飢えで生命の危険にさらされたり、ワクチンの投与をすればコントロ-ルできるはずの感染症が、経済的理由でワクチンの投与ができず多くの死者が出るような経済環境の国では、植物状態の患者さんの長期にわたる生命維持や治療などは到底国民の支持を得ることはできないであろう。このようなことを考えれば、PLSTの是非などに全く興味がなく、経済活動に専念をして日本を豊かにしてくれる経済人が実際にはPLSTが必要な患者さんに最も貢献しているという皮肉な見方もできるわけである。
10.植物状態と日本人
この項ではわが国では植物状態の患者さんに対してどのように考えられているかということに言及してみようと思う。このようなことについての論文は非常に少ないので、ここでは筆者自身の今までの経験や家族から得た印象などが中心になり、客観性に欠けることは認識した上で以下を読んでいただきたい。また筆者の経験はほとんど交通事故で植物症になった患者さんについての経験であることもあらかじめお断りしておく。
このような問題に触れた論文は非常に少ないが、1999年に英文雑誌であるJournal of Medical Ethicsに掲載されたSurvey of Japanese physicians' attitudes towards the care of adult patients in persistent vegetative state(成人の植物状態の患者のケアに対する日本人医師の態度の調査)と題された論文がある(資料22)。これは、2年前に脳卒中をおこして植物状態になった70歳台の男性を想定されるケ-スとして設定して、あらかじめ本人の意志を示した書面の有無、家族が治療中止を依頼した場合、などのいくつかの場合を仮定して答えを求めている。最後に回答をする医師自身がこの患者のようになったら、どのように希望するかを問うているのも興味深い。日本脳卒中学会の会員である317人の医師に質問を郵送して201人(65%)から回答を得た。201名のうち93%は実際にPVS患者を治療したことのある医師であった。その結果によれば、患者の意思が確認できない場合に経管栄養の中止に賛成する医師は3%であった。もし事前にこのような場合の治療中止の意思が示されていることが確認できれば17%の医師が経管栄養の中止をすると回答している。しかし、回答した医師自身がPVSになった場合は40%が経管栄養を中止して欲しいと回答したことは、医師としての使命と我が身の処し方の違いを示す興味ある結果である。
栄養と水分供給の中止を議論した論文の中でこの論文の内容を引用して、日本人は特異的にPVSの栄養と水分の供給の中止に抵抗感を持っていると指摘している論文があった。確かに、わが国では、世界の傾向と比較しても、PVSの栄養と水分の供給を中止することに賛成する医師は明らかに少ないと思われる。
このことについて公に表明された意見としては、以下のようなものがある。
第一は、平成8年に日本学術会議の死と医療特別委員会の報告として出された「尊厳死について」(資料23)という文章である。この中の3.延命医療中止の意義という項目の中に、「・・・厚生省報告書によっても中止の時期について、「助かる見込みがなく死期が迫っていると診断されたときに」中止すべきだとする意見がもっとも多かったようである・・・」というフレ-ズがあるが、これは単に厚生省の報告書の内容を言っているだけであり、学術会議自体の見解とは理解しがたい。また、次の4.延命中止の条件の中には「・・・医学的に見て患者が回復不能の状態(助かる見込みがない状態)に陥っていることを要する。単に植物状態にあることだけでは足りないと解すべきである・・・」という表現で植物状態について触れている。これを素直に理解すれば、植物状態の患者の延命治療は中止すべきではないと読みとれる。
第二は平成16年2月に出た日本医師会の医師の職業倫理指針(資料24)である。これは冊子として会員である医師に配布されたものである。その中の2.患者に対する責務の中の(20)末期患者に対する延命治療の差し控えと中止の項目の中に「・・・・このような治療行為の差し控えや中止は、①患者が治療不可能な病気に冒され、回復の見込みもなく死が避けられない末期状態にあり、②治療行為の差し控えや中止を求める患者の意思教示がその時点で存在することが重要な条件である・・・」との記載がある。同じ項目の【解説】の中には、「必ずしも末期患者といえないが、持続性植物状態患者の延命治療、特に経管栄養の中止についても同様の問題がある。これについても最近は容認的傾向が強いが、なお反対意見もあって議論されており、慎重な判断がもとめられよう」とある。容認的傾向が強いのは世界的な趨勢と思われるが、わが国においては決して容認的傾向が強いわけではないのは、先に紹介した論文からも明かである。尚、最近になって医師会が発行した「グランドデザイン2007 -国民が安心できる最善の医療を目指して-」の各論「終末期医療のガイドライン」(資料25)には、終末期を「最善の医療を尽くしても、病状が進行性に悪化することを食い止められずに死期を迎えると判断される時期」と定義をしており、「この定義の下では、数ヶ月先に死亡することが予見される場合においても、病態的に安定期にある場合は、終末期とは規定しない。」との記載も見られ、植物状態がこれに該当するなら、植物状態は終末期に含めないと理解される。また、この項目には植物状態に関する記載は見られていない。
第三は日本尊厳死協会の「尊厳死の宣言書」(資料26)である。この協会は自分が末期の状態になったときの判断をあらかじめ表明しておくことで、本人が実際にそのような状態になった場合に、あらかじめ会費を納め会員になり、尊厳死の宣言書に署名をしておけば、本人に代わってその意志を医療者に伝えてくれるというものである。この宣言書の中には「(3)私が数ヶ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時には、一切の生命維持措置をとりやめてください。」という項目がある。一般的な日本人の考え方としては、自分が病に倒れて他人の介護が必要となっても、なるべく他人に迷惑はかけたくないと思うことは充分に理解ができ、「ぽっくり寺」などがはやっている現実もあるので、(3)のような考えも理解できる。しかし、医療者の立場としてはこの項目に記載されている内容は、「数ヶ月以上に渉って」だとか「いわゆる植物状態」など曖昧な表現が多く、とてもこの基準では重大な決定をすることはできないし、したくない。幸いに千葉療護センタ-に今までに入院してきた患者でこの宣言書を持ってきたケ-スはない。
第四は平成16年7月に厚生労働省から出された「終末期医療に関する調査等検討会報告書-今後の終末期医療の在り方について-」という報告書(資料27)である。ここには実際の統計資料も含まれている。このアンケ-トの結果によれば「治る見込みのない持続的植物状態(原文のまま)になった場合、単なる延命医療について」「やめた方がいい、やめるべきである」と答えた人は医師で85%、一般で80%であるとしている。このほかにも多くのデ-タがこのサイトで見られる。このデ-タを見ると、日本人の考え方も世界の趨勢に近づいて来たかのような印象を受ける。しかし、このアンケ-トの結果は筆者が周囲の医師や患者家族から受ける印象とは大きく異なっているし、現在の医療現場で植物状態の患者に”単なる延命治療の中止”がこのような割合で実行されているという実感は全くない。筆者から見れば、この設問は持続的植物状態を”治る見込みのない”と断定的に言っている上に、単なる延命治療の”単なる”をつけたことも気になる。何となく誘導尋問のような印象を持つ。前述の如く、医師でも患者に対する判断と自分自身についての判断は大きく違うので、実際に家族にこのような患者が出た場合に、多くの日本人の判断がこのような結果になるかどうかは大変気になるところである。いずれにせよ、行政、医師、国民の間には植物状態の患者さんはいかに治療・介護されるべきであるかということについて、一致した見解や方針がないのが現状である。
千葉療護センタ-に入院している患者さんは比較的若い人が多いので、介護者の多くはご両親である。病院を訪れるご両親を見ていると、患者さんの回復を願う気持ちは非常に強い。また、実際に多くの患者さんに何らかの改善が見られるが、その程度は、歩行が可能になる、職場に復帰できるなどの著しいものではなく、声をかけるとにっこりしてくれるようになった、指の合図でイエス/ノ-の返事ができるようになった、口から少し食べられるようになったなどのものが大部分であるが、介護をしているご両親はこのようなことを非常に重要に考え、このような改善に大きな喜びを見いだしている。また、患者さんがどのような状態にあっても、生きていて欲しいと心底思っていることはひしひしと伝わってくる。最近では新聞誌上で介護疲れによる親殺しなどの悲惨な事件が多く報道されるが、多くの場合、経済的、身体的負担が耐えられる程度のものであれば、ほとんどの親は子供が生きていることを望むと筆者は考える。筆者は人間を社会的存在として考える前に、先ず、人間を生物として考える。生物がこの世に存在して、困難な状況に遭っても生きようとするのは、自分のDNAをより長く存在させようとする生物に本質的に備わっている否定しがたい特性であると信じている。このようなことを考えれば、多くの親は自分が死んでも子供は生きて欲しいと思うことは理屈で理解でき、また多くの親の実感であることも納得がいく。患者さんの状態を少しでも改善させることは重要であるが、併せてこのような介護者の否定しがたい気持ちを妨げる身体的負担や経済的負担を軽減させることも、医療や看護と同様に、我々の重要な仕事であると認識している。
11.UWS
UWSとはUnrespondive Wakefulness Syndromeの略である。
筆者は一般に遷延性意識障害と言われている状態を示す医学的用語として、英文では「Persistent Vegetative State」を和文では「植物状態」を使用していることは前述した通りである。その理由は医学的なはっきりした定義が存在するからである。日本脳神経外科学会用語委員会編集の脳神経外科学用語集(1995)には英文用語の項にはvegetative stateがありその和訳は植物状態としている。同様の状態を示す用語としてvigilant comaが記載されていて「覚醒昏睡」の和訳がついているが、この用語はほとんど使われていない。この用語に相当するフランス語としてcoma vigil があるが、これは論文で見かけたことがある。和文の項には「植物状態」があり英訳はvegetative stateとされている。「覚醒昏睡」の項にはvigilant comaに加えて、どういうわけかcoma vigil(F)の記載もある。しかしこの用語集の「せん」の部分には「遷延性昏睡」prolonged coma、「遷延性植物状態」persistent vegetative stateはあるが「遷延性意識障害」は記載されていない。やはりこの言葉は医学用語ではないということだと思う。「植物状態」という用語がある人々にとっては抵抗感があることは前述した。筆者自身も医学的に正確な用語とはいえ、この言葉に全く抵抗感がなかった訳ではない。一時、植物状態に代わる用語として「慢性期高度認知機能障害」を考えて提唱しようと考えていた矢先「痴呆症」が「認知症」となり出鼻をくじかれてしまったことがあった。しかし、2010年にこの状態を表す新しい用語として、The European Task Force on Disorders of Consciousnessから”Unresponsive Wakefulness Syndrome”が提唱された。これはUnresponsive wakefulness syndrome: a new name for the vegetative state or apallic syndrome(資料28)としてネット上で全文を見ることができる。この論文にはvegetativeという単語には軽蔑的な言外の意味(pejorative connotation)があるとしてこれに代わるneutralな新しい用語の必要性を主張している。この点については筆者も同感であり、患者さんのご家族が「植物状態」を使わず「遷延性意識障害」を使う気持ちは理解できるが、「意識障害」という言葉がこのような状態の人は「意識がない」という印象を一般に与え、患者さんやそのご家族にとって不利になることはないかと危惧してきた。今回新たに提唱された用語を見ると、Unresponsiveは反応のないという意味で、Wakefulnessは覚醒していると言う意味であり、この状態が意識障害ではなく覚醒状態であることを端的に示す良い用語であると考える。植物状態は「状態」stateであるが、新しい用語ではstateでなくsyndromeとなっている。Syndromeの和訳は症候群である。症候群とは一定の症状の集まりを示す医学的用語で、漠然としたstateからsyndromeに変えたのも進歩と考える。現時点でこの用語に対応する日本語はないようであるが、「無反応覚醒症候群」あるいは「覚醒無反応症候群」など対応する用語を学会などで早急に決めて、医療者も患者さんやご家族も全く抵抗なく使えてしかも医学的に厳密なこの用語を「植物状態に代わるものとして広めていく必要があると考える。
12.終わりに
筆者は10年以上に渉って千葉療護センタ-で交通事故による重症の脳損傷後遺症の患者さんと、そのご家族(大部分は両親)と接してきた。その結果判ったことは以下の通りである。
比較的若い交通事故による患者さんの生命予後は良好なので、このような患者さんは重症の後遺症を持ったまま長期の生活を余儀なくされている。
受傷後数年経っていても、治療により多くの患者さんにある程度の改善が見られ、少数の患者さんは著明な改善が見られる。
少しの改善であっても介護をするご両親は、それに大きな意義と喜びを感じている。
たとえどのような状態にあっても介護をするご家族の大部分は患者さんに一日でも長生きして欲しいと思っている。
比較的若い交通事故による患者さんの生命予後は良好なので、このような患者さんは重症の後遺症を持ったまま長期の生活を余儀なくされている。
受傷後数年経っていても、治療により多くの患者さんにある程度の改善が見られ、少数の患者さんは著明な改善が見られる。
少しの改善であっても介護をするご両親は、それに大きな意義と喜びを感じている。
たとえどのような状態にあっても介護をするご家族の大部分は患者さんに一日でも長生きして欲しいと思っている。
物流の大部分を担う現在の自動車交通は、運転をする人ばかりではなく、その物流によりかつては考えられなかった生活の利便性を全ての国民にもたらしている。一方、全ての国民が享受するこの利便性の裏には、交通事故の被害者が発生している現実に目をつぶることはできない。我々はこのような不幸な被害者に対し充分な支援を行うことが義務ではないだろうか。また、現在の日本の経済状況は、厳しくなったとはいえ、このような支援を行うには十分な豊かさがあると信じている。
平成20年11月
千葉療護センタ- 岡 信男
千葉療護センタ- 岡 信男
平成22年3月一部改変
平成24年5月 11)を追記
13.参考資料
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4.鈴木二郎、児玉南海雄、坂本哲也、辺龍秀 : 植物状態患者、神経研究の進歩:第20巻901-903,1976
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24.日本医師会:医師の職業倫理指針(改訂版)平成20年6月
25.日本医師会:終末期医療のガイドライン:グランドデザイン2007-国民が安心できる最善の医療を目指して、2007.8
26.尊厳死協会:尊厳死の宣誓書 http://www.songenshi-kyokai.com/
27.終末期医療に関する調査等検討会報告書-今後の終末期医療の在り方について- http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/07/s0723-8.html#mokuji
28.Laureys S, Celesia G, Cohadon F, et.al, Unresponsive Wakefulness Syndrome: a new name for the vegetative state or apallic syndrome. BMC Medicine 8: 68 or http//www.biomedicentral.com/1741-7015/8/68